学校へのICT導入について考えたこと(5/18)
日本では,文部科学省が「5.4人に1台」「全教室まで高速ネットワーク」「全教員がICTを使って授業ができること」などの政策を提示し,毎年2000億円以上の地方交付税がICT整備に投入されているが,正直,十分には進んでいないのは周知の事実だ。このことについて,教育の情報化の実践研究者として,ぼくにできることは何かと模索を続けてきた。現場教員と一緒に授業づくりをしたり,企業等と共同開発をしたり,たくさんのセミナーでアピールしたりした。ぼくにできることなんて微々たるものだけども,それでもできるところをやらないとと思ってがんばってきた。4月から省内の仕事を手伝うようになって,当該部署の人たちが一生懸命がんばっているのを見てきた。なのに周囲からは「文部科学省が悪い」「地方交付税が悪い」のような,第三者的な意見ばかりがよく聞こえた。
自治体がICTを導入するためには,学力が向上するという「証拠」が必要という話になった。証拠がないから導入しないと地方の自治体が主張したわけだ。それならと,文部科学省や日本教育工学会,NIMEは,単年度予算という限界の中でできることをということで,ITを活用した学力の向上を示そうとした。それは学力の一部分でしかないけども,できることからやってきた。今度は研究者側から「そんなの学力の示し方は意味がない」という声が聞こえた。
ぼくはこういう板挟みの中にあって,では日本はどうすればいいのかをずっと悩んでいる。批判するのは簡単だ。自分の仕事じゃないと斜に構えて,誰かに責任転嫁するのもたやすいことだ。でも,それぞれの研究も実践も行政的行為も,地道であり前進のための努力であることには間違いはない。これらのパワーをどう噛み合わせれば,日本の教育の情報化がよい方向に進むのか,噛み合わせるのは誰の仕事なのか。それを毎日考える。
英国に来れば,その答えが見つかると思っていたわけではない。だけど,普通教室ですべての教師が当たり前にICTを使って授業をし,そこら辺に置かれた学習用のコンピュータで児童生徒が議論しながら普通に学習を進めている様子を目の当たりにしたとき,日本とのあまりの格差に愕然とする。「How many computers are there in your school ?」という質問には,「数えられないよ(=数えても仕方ないでしょ)」という返事と苦笑いが返ってくる。「ICTは学力に効果があるか」という質問には,「効果を上げる教員研修をする」という返事だ。ICTがそこにあることは当然のインフラであり,誰にも疑いはない。ぼくの質問はナンセンスにこだまする。
日本は,何かつまらないことに厳密になって,結果的にものすごく大きな損失を産んでいるのに気づかないのではないか---。海外に視察に来るたびに感じることだ。今回も同じ気持ちになる。しかし帰国してがんばり始めると,最初のような第三者批判の中に身を置くことになる。
文部科学省と地方自治体と学会と学校現場と企業とが,同じ方向を向いて役割を分担し合うこと。それは難しいことかも知れないけども,日本で今,一番やらなくちゃいけないことは,相互批判ではなく相互理解なんじゃないか。そう思った。人のせいにして非難をすることが今やるべきことじゃない。
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コメント
学力が向上するという「証拠」の怖さを経営現場で感じております。以前経営に携わっていた会社で、通販ビジネスを検討し、韓国の先進事例が日本で適応できるか、検証することになりました。韓国のパートナー候補の社員チームが来日し、20日間で調べ、分析し、戦略を考え、提言がありました。そのあまりの完成度の高さに驚きました。
我が国の一流コンサル並みのことを、一企業の社員レベルがパソコンを駆使してやり遂げる。その資料収集、調査、分析、商売としての性質、日本の通販の状況の掴みかた、投資とそのリターンにいたるロードマップ。それらすべての実務能力が、我が国の巨大企業人以上にこなせる。その鍵がパソコンやネットの使い方でした。このままでは、日本の国際競争力は、限りなく相対的に低下すると戦慄をおぼえました。
ビジネスの世界は速度、量をこなす。正確さ、検証の繰り返しで、質を高める勝負です。cpuパワーが、幾何級数的に発展していく中、それを使いこなせない人がどうして、世界と戦えるのでしょう。一部のエリートに引っ張られる社会でなく総合的な知の水準をあげる為に、堀田先生が推進されている様に情報機器を使いこなす大事さと、実践は、次世代の我が国にとって必須です。
皆さんで、堀田先生を是非、応援して欲しいと思います。
投稿: 兵九朗 | 2012年10月26日 (金) 10時55分
昨年末で廃刊になった「アサヒパソコン」の1991年5月15日号特集「学校にパソコンがやってきた」、「NEW教育とコンピュータ」1995年4月号特集「今、考えよう教育とコンピュータ」が手元にあります。どちらもコンピュータが泣いている状況を指摘してます。こうした記事を読むと、今も昔も変わらない学校の状況があって、しばし自失呆然となります。どこかがおかしい、のです。その一端は、日本の学校教育に大いに影響のある日本教育工学会にもあります。
投稿: 成田 滋 | 2006年5月27日 (土) 10時38分
関さんこんにちは
韓国のデジタル教科書は、利用履歴が残る仕組みを開発しています。
ページに自由に書き込んだこと、付箋に書いたメモが残り、解答欄に書き込んだ答えは成績管理データとして集計されるようにする計画です。
それで、今、私が考えているのは、dbookで同じことができないかということ、Webに置いたデジタル教科書に個別にアクセスできてしかも履歴が残るしくみです。
ソフトハウスに研究をしてもらって、この履歴のしくみがほぼ実現できるという答えを得ています。
11月ごろから実験授業を開始できるように準備を始めています。
「タブレットPC教育利用研究会」と連携ができるとありがたいです。
※私信のようになってしまいました。m(_ _)m
投稿: きゅうたろう | 2006年5月23日 (火) 11時30分
きゅうたろうさん:
関です。ご無沙汰しています。
韓国では、「生徒一人ひとりにタブレットPCを持たせる国家プロジェクト」ですか。日本でも、生徒用は(先生用も)タブレットPCだという信念のもとに「タブレットPC教育利用研究会」を立ち上げました。きゅうたろうさんの’dbook'と連携するとさらに学習効果が上がると思います。ぜひ、連携させてください。よろしくお願いします。
http://seki-kouichi.cocolog-nifty.com/tpc/
投稿: 関 | 2006年5月23日 (火) 00時22分
今年3月、韓国の高麗大学、KERIS、公立小学校を訪れ、ICT活用の状況を見てきました。
小学校ではすべての教室にブロードバンド回線が引かれ大型プロジェクションディスプレイに教材が提示されていく様子にため息をついてきました。
KERISでは韓日のデジタル教科書の状況報告セミナーのような会を持ち、お互いの開発状況を報告しあいました。
提示型デジタル教科書のレベルは日韓との差は感じませんでしたが、インフラの違いが次のデジタル教科書の開発の違いとなっていることを感じました。
つまり生徒一人ひとりが自分のデジタル教科書にアクセスするしくみをつくること。そのために生徒一人ひとりにタブレットPCを持たせることを国家プロジェクトして計画していることです。
日本にもどり、インフラは整備されていなくても生徒一人ひとりにデジタル教科書にアクセスさせる仕組みをつくろう、と意を強くしている今日このごろです。
投稿: きゅうたろう | 2006年5月22日 (月) 10時11分
骨身にしみるお話です。
ないから使えないという人がいる。あっても使えない人もいる。もっと大事なことがあるという人もいる。
不平を言っても仕方がないし、人を攻撃しても何も生まれない。
今、自分にできることは何か、未来を作る子どもをどう作るかという考えが大事だと思いました。
「善さ」にはいろいろな視点があります。人の視点の「善さ」と自分の視点の「善さ」が異なる時に、認め合うこと「もっと善くなること」をともに求めていけるといいのだなあと考えています。
投稿: にしだ | 2006年5月20日 (土) 12時04分
私も昨年、ロンドンに行きました。その時一番感動したのは「このような素晴らしい環境で学べることは幸せです」と言った小学生の言葉でした。
日本に足りないのは「子どもたちを大切にする」という当たり前の気持ちだと思います。それれは「未来」を大切にするということでもあります。「大人たちは食べるものを食べなくても子どもたちに食べさせてあげる」そんな気持ちであれば、いい環境で教育することにお金をかけることは当然であり効果が検証されなければ予算をつけられないなんて議論にならないはずです。
「米百俵」の話はどこへ行ってしまったのでしょうか?
「子どもたちは未来からの留学生」といいます。未来という国から学びに来ているのです。できる限りいい環境で教育し、未来に送り返してあげたいものです。
投稿: 関 | 2006年5月20日 (土) 06時26分
私も「そんな学力の示し方は意味がない」風なこと書いた人間なので恐縮ですが,その真意は相互理解のための枠組みづくりが実はこれからだという点への不安と苛立ちでした。パソコンを始めとした有用なツール類を(公費で)何気なく導入するということができない日本の教育現場への苛立ちは,諸外国の事例を見聞きする度「ため息」となって出てきてしまいそうです。
日本は教育や学力という険しい道から入った分,時間がかかり遠回りしてしまいましたが,でもこれから,やっと校務の情報化という切り口で導入を推進する動きになりますよね。勤務評定などの厄介な議論と適切に距離を保てれば,教職というのは一人一台割り当てるに必要な仕事内容なのですから,むしろ動き出せば早いような気もします。大丈夫,光ファイバーもそんなもんでした(^_^;
投稿: りん | 2006年5月20日 (土) 02時15分
神戸市の市議による入札への圧力、大阪市の同和事業への税金の使い方。神戸市も、大阪市も、報道されていない税金の無駄な使われ方がまだまだあります。
これは、福祉にも、学校にも言えることかも知れませんが、税金を歳出予算として本当に必要なところに、適性に配分したか?
日本の地方自治体がもっとも苦手とする課題かも知れません。自分の過去を振り返ったときに、情けなくなります。
投稿: 新大阪 | 2006年5月19日 (金) 23時07分
ここ2年離れて情報教育を見ています。ICTには、市町の多額な金がかかるんですよね。市町村教委の方針と教員研修が重要だなとつくづく思います。
投稿: hori | 2006年5月19日 (金) 22時24分
10年前(1996)に市の海外視察でロンドン近郊のhigh schoolを視察したときに,その学校の情報関係は,現在の日本よりも遅れていると感じました。
堀田先生のBLOGから,ロンドンから離れたブライトンのhigh schoolの「普通教室ですべての教師が当たり前にICTを使って授業をし,そこら辺に置かれた学習用のコンピュータで児童生徒が議論しながら普通に学習を進めている」現状を知り,「完全に追い越されてしまったなあ」という気持ちになりました。先生のおっしゃる「日本は,何かつまらないことに厳密になって,結果的にものすごく大きな損失を産んでいる」ことに納得してしまいます。
私も3年ほど前にHideさんに案内していただいたブライトンの町からの続報を,楽しみにしております。
投稿: なりた | 2006年5月19日 (金) 16時16分