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日本教育工学会全国大会第1日目(10/11)

上越教育大学での日本教育工学会全国大会の第1日目。朝から受付は盛況,会場校の南部大会委員長,学会本部の木原大会企画委員長や東原副委員長,清水先生をはじめとする学会事務局の方々が右へ左へと忙しく動かれ,裁かれている様子を見た。ボランティアで支えられている学会運営,感謝の気持ちを持った。
お昼に第1回研究会委員会を実施。1時間で10の案件。無事に終了。幹事の石塚さんに感謝。

午後のシンポジウム1Bは,とても有用だった。稲垣君と植野さんという情報提供者は,それぞれ個性的であり,さまざまな要素が良い意味で対照的であり,うまくデザインされて選ばれた登壇者だと思った。山内さんの指定討論は,フロアが聞きたいところをズバッと切り込んで爽快だった。木原さんの司会は相変わらず鮮やかで明瞭だった。清水先生のコメントは学会員が元気が出るものだった。
大御所が次々に指名されたため,ぼくは挙手を遠慮したけども,モデルの表現形式をどうするかということを質問しようと思っていた。つまりこういうことだ。
教育工学においては,モデル化がその研究領域の特色である。しかしモデル化されたモデルは,「次なる人」が使うためのものである。「次なる人」は誰なのかによって,モデルの表現形式は変わるはずだし,変わるべきだ。となれば,稲垣氏の提唱したモデルはなぜ「枠組み」と「手順」という2つに表現したのか。そこに,モデルを利用する側を意識したモデル表現の原則論を見いだせないか。そういうことだった。その後,指名された中原君が述べた「モデルは誰のためか」という話と通じることをぼくも考えていた。
日本教育工学会の初代会長であった東先生は,『日本教育工学雑誌』創刊号において,「教育工学とは,教育者がより適切な教育行為を選ぶことができるようにする工学である」と定義した。「教育者がより適切な教育行為を選ぶことができるようにする工学」であるということは,研究の知見が最終的には教育者による「より適切な教育行為の選択」に寄与する必要がある。すなわち,次に同様の実践を行おうという教員に対し,役立つ設計情報として知見が提供されるべきだ。
ぼくが研究を進めている学校現場での実践という文脈で考えれば,モデルが提供される側は教員だ。ということは,提供されるモデルは「教員にとって」有用であり,次なる教育行為の選択に寄与できる形式をとらなければならない。たとえば,数式を用いた記述は,学術的には対象モデルを厳密に示すことができていたとしても,必ずしも教員にとって有用である形式ではない。逆に,指導の効果が十分に示されていなくても,ある有名な実践家の実践を教員の知りたいポイントで整理した記録であれば,教員にとって有用であるモデルの形式となり得る。
これは,数式によるモデル化には意味がないということを言いたいわけではない。モデルの表現形式は,想定されるモデルの利用者に対する了解性を高く保つことを優先することが,教育工学においては不可欠なことだと思うということだ。こういうことを考えてきたぼくは,今回のシンポジウムで,このことがやはり重要だということを再確認できて,とても有用だった。登壇したみなさんに感謝したい。

いくつかのセッションで,発表を聞き,質問をした。研究の位相はさまざまでよいが,持論を述べているだけの発表は,説得力がないだけでなく,発表者の評価を下げると思った。人の振り見て我が振り直せ。気を付けよう。
バタバタした中ではあったが,黒上さん,高橋と久しぶりにゆっくり話せたり,木原さん,山内さんとも久しぶりにお茶することができた。楽しい仲間と夕食を共にし,富山チームや高橋研の学生とも楽しく過ごすことができた。よい1日だった。2日目以降もがんばろう。

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