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対立軸ではないのに

「学校教育の情報化に関する懇談会」がネットで中継されたこともあり,方々でさまざまな意見交換がされている。施策決定の過程が公開されることはとてもすばらしいことだと思う。
懇談会の中での意見にも,会議を傍聴または中継を視聴した人の意見にも,ちょっと気になるものがある。
それは,とにかく今の学校はダメなのだ,情報化はそれを変えるのだという強い意見。言っていることはわからないでもない。ぼくも同感だと思う部分も幾ばくかはある。だけどもう少し慎重になって事を進めるべきだと思う。
歴史上のある瞬間で,物事がドラスティックに変わっていく場合,ほんとうに誰かが「変えた」ことが民衆に幸せを与えてきただろうか。歴史的にはむしろ,力づくで変えようとした時にはその後にしっぺ返しを受けたことの方が多いのではないか。
ほんとうに必要な変革であれば,技術の変化によって必然的に変わっていくのだと思う。そう,「変える」のではなく「変わる」のだと思う。
ぼくは,長い時間積み重ねられた文化には,それなりの合理性があると考えている。そして,そのような文化を伝承している人たちの持つ専門性にはもっと敬意を表すべきだと思っている。
偶然にも高橋がこれに近いことをブログに書いていた。まったく同感だ。ぼくもよくこんなたとえ話をする。走るプロである陸上選手と,陸上用のシューズを開発しているメーカーの人がいたとする。メーカーの人が新しい技術を開発した時,これを使うために「陸上選手は走り方を変えるべきだ」というだろうか。むしろ陸上選手の走り方に合うようなシューズを開発するのが普通ではないか。それがうまくいった後に初めて,その技術を最大に引き出すための走り方の研究に移行していくのであって,いきなり走るプロに走り方を変えろと走るプロではない人が言うとしたらそれは越権行為だろう。そんな人にそんなことを言われて,走るプロはがんばる気持ちになれるはずがない。まずはプロ側に合わせた上で,共同でさらによくしていくような寄り添い方を持った技術者になるべきではないか。
もちろんぼくも,情報化によって教育は変わっていくだろうと信じている方だし,そうあるべきだと思っている人間だ。だからこそ,うまくコミットしながら変化していけるよう,学校の主役たちを大切にしていきたいと思う。自分の身を安全な位置に置き,評論家風に激しく攻撃しているような意見を見かけると,とても残念に思う。ぜひ学校現場の現実に役立ってみるところから始めて欲しいと思う。

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