1992年,28歳になったぼくは,6年生を卒業させると同時に小学校教員を退職し,西東京科学大学理工学部経営工学科に助手として着任した.学部卒のぼくを大学の助手にしてくれた懐深い上司たちには今でも感謝している.まったくお門違いのところでのいわば「下積み」の4年間は,その後のぼくの研究者生活に大きく影響を与えることになった.4年間の真ん中の2年間で電気通信大学大学院で情報工学専攻の博士前期課程で学ぶことができた.システム工学やオペレーションズリサーチ,経営数学,人間工学等の実験やプログラミング演習の助手としてさまざまな経験を積ませてもらったし,戦略経営の大御所などにも構ってもらうことができた.
そんなぼくが一番時間を割いたのは,山本研究室の院生・学部生たちと過ごすことだった.彼らの集まる部屋の隣にぼくの部屋が置かれたこともあり,研究だけでなく生活の面倒をたくさん見た.今では笑い話になるような「事件」がたくさんあった.山本先生は東工大で博士号を取り,東芝で原子力発電所の安全設計等をやってきた人なので,システムの多重化やフォールトトレラントシステムなどのことをたくさん学ばせてもらったし,山本先生の御指導の10数年後に,ぼくも山本先生と同じ東京工業大学大学院社会理工学研究科で博士号をとることになったことは,何かのご縁かと思ったものだ.
そんな山本先生は,西東京科学大学から首都大学東京(当時)に移籍され,たくさんの卒業生を輩出なさった.当時の学生たちが集まった同窓会で,30年ぶりにあった人たちもいた.一生かけて学ぶことの大切さや尊さをあらためて感じた同窓会だった.おじゃましました.